大人女子のための2分で読めるウェブマガジン美シャイ- Beautiful shining
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2017/06/03

三遊亭美るく〜物怖じせず、大胆でいたい〜【lampインタビュー】

魔法のランプがなくても、神様にお願いしなくても、願いは自分で叶えられる!
スペシャルインタビューでは、様々なジャンルで活躍する方たちに自身の“夢を叶える方法”についてお伺いします。

今回お話を聞くのは、IT企業での社会人経験を経て、落語家の世界へと飛び込んだ三遊亭美るくさん。現在“二つ目”として数々の高座で活躍する彼女に、“夢”や仕事に対する思いなどを伺いました。

会社員から落語家への転身

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−−まず、どのような経緯で落語の世界へ飛び込んだのでしょうか?
周りの落語家さんには、落語研究会出身だったり、お笑いの専門学校に通っていたりする方が多いのですが、私は落語自体全く知らないところからのスタートだったんです。そもそも会社員として働いていた当時は、あまりエンターテイメントに興味がなくて、たまたま友達が落語に誘ってくれたときも、「行ったら寝ていられる」とラッキーに思ったくらいで(笑)。

ただ実際に新宿の末廣亭に連れていってもらったら、伝統的な木造建築で、中には桟敷席もあるので、タイムスリップしたような感覚になって落ち着けたんです。寝るつもりだったのに、噺(はなし)を聞いていたら、どんどん人情的な噺に引き込まれていっちゃって、一気に落語が好きになったんです。だから今思えば、友達が落語に誘ってくれたのが私にとってのターニングポイントですね。

−−その後すぐに落語家になろうと決心されたのですか?
落語には男同士の友情といった噺も多いし、まさか女性ができる職業だとは思っていなかったので、始めは見ているだけでいいと思っていたんです。でもある日、後に弟子入りする三遊亭歌る多師匠が舞台に出てきて、落語の後に立ち上がってサッと踊り始めたんですよ。それがもうすごく格好良くて、こうなりたいと思っちゃって。それで弟子入りすることを決めました。

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ただネットで調べても落語家のなり方って載っていなくて。正解は「弟子にしてください」と直接申し入れるだけだったらしいんですけど、そんな時代劇みたいなこと今でもやっているなんて思わなかったので、とにかくきちんとした格好で履歴書を持ってお願いしに行きました(笑)。ただ始めはファンの子が寄ってきたと思ったのか「あら〜」と明るく接してくれたんですけど、「弟子にしてください」と言った途端に顔色が変わって、「ついてきなさい」って声のトーンも2オクターブくらい低くなって。

−−その場ですぐに弟子入りが決まったのですか?
いえ、まず「止めなさい。女の世界じゃないし、私があなたになってくれと言っているわけじゃない。ゆくゆくは辞めたいと言うだろうし、辞めるなら早い方が人生の邪魔にならない。それに辞めると言うならならない方がいいし。とにかく見ているだけが一番良いよ」と言われたんです。でもそれは今思えば、師匠自身が「女はいらない」という苦労を経験しているからこそ言ってくれたんだと思います。

ただ、しばらくそこで話をしていたら「親を連れて来なさい。この世界は親を説得しなきゃ噺家にはなれない」ということになって。談志師匠であったり、鶴瓶師匠であったり、どの一門でも、噺家は親を師匠のもとに連れてこないといけないんですね。それですぐ実家に帰って親を説得して、師匠のもとに連れてきて正式に弟子入りを認めてもらいました。

「芸を盗め」を実践する日々

−−実際に弟子入りをしてからの日々はどのようなものでしたか?
弟子入りしてからは、見習い→前座→二つ目→真打ちという階級順に昇進していくんですが、6ヶ月以上の見習い期間中は、ひたすら掃除と稽古をするんです。最初の稽古は三遍稽古(さんべんげいこ)というもので、師匠が口述する噺を耳で覚えるというものなんですね。それも話してもらえるのは一度きりなんです。でも、当時の私は落語を全然知らないし、初めてきいた噺だったから、「あはは、面白い」って普通に聞いていたら、「じゃあまた明日」って終わってしまって。「ええ〜!」と思って大学ノート広げて覚えているフレーズだけひたすら書き出していました(笑)。その口述の稽古は3回やってくれて、4回目には「じゃあやってみせて」と言われるんですが、全然ダメでしたね。

−−台本もなく、録音もできない状態で覚えるのは大変ですね。
でも昔の人がそういうものを使っていたのかと言われたら何も言えないんですよね。「芸を盗め」という言葉がある通り、大事なことは自分の目で見て、耳で聞く。「学校じゃないんだから、教わるものじゃないんだ。芸人というのはそういうものだ」とよく言われましたね。

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−−そして6ヶ月後には前座、その4年後には現在の二つ目に昇進されたわけですね。
そうです。前座になったときは、新宿末廣亭、池袋演芸場、浅草演芸ホール、上野の鈴本演芸場、国立劇場のいずれかに配属されて、いろんな流派の方と一緒に修行を受けるんですね。舞台では落語家が喋った後の座布団をひっくり返したり、めくりという落語家の名前の書かれた札をめくったり、生演奏の太鼓を覚えたり。特に師匠によって違う出囃子の太鼓は、耳で覚えないといけないのでけっこう大変でした。私の出囃子はスーダラ節なんでけっこう覚えやすいんですけどね(笑)。あとは一門によって違うお師匠方の着物の畳み方を覚えたり、この師匠は冷たいお茶しか飲まない、熱いお茶でも薄めを好む、高座に上がる前にお白湯を飲む、といったお茶の出し方も覚えたりしないといけませんでしたね。

家族の温かみを感じる関係

−−実際に落語家として活動を始めてから気付いた落語の魅力は何ですか?
一門が家族になれることですかね。他人同士であっても師匠や兄弟子が本当の親兄弟みたいになります。互いに気を遣って思っていることを言えなかったりする会社の関係と違って、私たちとしては師匠の顔に泥を塗るわけにはいかないので、ダメなことはダメと兄弟子から叱られることもあるし、私も妹弟子を叱ったりするんですが、家族のような関係なので次の日にはケロッとしていますね。

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それから、落語の世界に入った当初、師匠の師匠に「お前たちは人間にもなれていない虫けらだと思って生活しなさい」「師匠がカラスは白だと言ったらカラスは白だと思いなさい」と言われたのですが、それだけ師匠に逆らうっていうのは絶対にしてはいけないことなんですね。でもその代わりに、何かあったときにかばってくれるのは師匠なんです。自分の知らないところで菓子折りを持って「うちの弟子がすみませんでした」と先に謝りに行ってくれるんですよ。だから私たちも、そういうことを師匠にさせないために最前を尽くすんです。

−−これまでご自身がされたなかで印象的だった高座はありますか?
最初の高座が池袋演芸場だったんですが、もう緊張して本番中に噺が止まっちゃって(笑)。元々プレゼンとかも苦手な方だったんですが、もうあの高座は忘れられないですね。師匠もよく言うんです、「舞台に出ちゃったら助けることができないから自己責任だよ」って。でも何度も舞台に上がれば緊張もしなくなってくるし、今考えるとなんであんなに緊張していたんだろうって思いますね。

女だからこそできることに目を向ける

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−−ご自身の活動スタイルに影響を与えている人はありますか?
父親の影響は多いですね。昔から男の子の遊びばっかりだったので、今でも自分が格好良くなれるものがすごく好きなんですよね。バイクも乗りますし。落語を見に来てくれるおじいちゃん、おばあちゃんからすれば、まだまだ若く見られるのですが、女性としては可愛さよりも、粋な格好良さに憧れますね。

−−会社員時代を経て、落語の世界へ飛び込んだわけですが、これまでにどんなことで悩みましたか? また、それをどうやって乗り越えてきましたか?
「男ならよかったのに」と思うことは小さい頃からあったし、この仕事をしていてもそう思うことはありますけど、そういう悩みのなかで、もがいてもがいて「そういうものだから」と思える境地にたどり着きました。女には女の良さがあるし、それこそ私の師匠の踊りみたいに、女だからこそできることに目を向けていくようにすれば良いんじゃないかなと思えるようになってきましたね。「男みたいなことしたい」と思っていた頃は、自分を認めていなかったんでしょうね。

あと普段は自然のあるところが好きなので、よく島に行っています。東京の島だとすぐ行けるんですけど、自然に触れているとリセットされるし、余計なことを考えずに済むのでリフレッシュになりますね。

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−−ランプをこすって登場した魔人に、自分の弱点を何か一つだけ克服させてもらえるならどんなところをお願いしますか?
「泳げるようにして☆」です! 私、泳げないのに落語協会サーフィン部に入っているんです(笑)。部員は最初、落語より好きなんじゃないかってくらいサーフィンをしている真打ちの古今亭菊生師匠と、春風亭一左兄さんの2人だったのですが、私も生まれが千葉の九十九里だったこともあって、泳げるならサーフィンをやってみたいとずっと思っていて。それで最近ついに、落語の世界に入ったときと同じ「行きゃあなんとかなる!」精神で、ボードを持って海に出ちゃいました。ただ、まだ泳げずパドリングばかりなので、波が怖くなくなりたいです(笑)。

『ハプニング』

−−今日までの人生について、ご自身で自伝を書くとしたらどんなタイトルにしますか?
『ハプニング』ですかね。人生、何が起こるか全然わからないじゃないですか。この間実家に帰ってびっくりしたのが、子どもの頃NTT主催の夏休みの絵画コンクールで入選したんですが、そのときの自分の作品を見返したら、「未来の電話」というタイトルで携帯電話を描いていたんですよね。子どもの頃はまさかと思っていたけれど、今こんな時代じゃないですか。それにこうして落語家になっているなんて10年前は絶対に思っていないし。だからこれから先もどうなるかわからなくて、ハプニングの連続なんだと思います。

−−何かに挑戦したいけれど、なかなか行動に移せない。そんなみなさんが一歩踏み出すためのメッセージをお願いします。
本当に挑戦したかったらもう行動しているはずだから、迷っているうちは何もしなくて良いと思います。結局何をするかを決めるのは自分だし、そこで立ち止まっているのであれば、まだ立ち止まっているべきタイミングなのだと思います。でもこうやって「まだしてないならそれがあなたのベストなんだよ。そのままでいなよ」って言われたら、人によっては反動で踏み出せるかもしれないですね。

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−−話すのが上手になりたいと思っている方がいたら、どんなアドバイスをされますか?
一番効くのはやっぱり慣れだと思います。私も最初は緊張で震えちゃって、逃げ出したいとさえ思ったけれど、舞台に上がり続けて慣れました。人間って慣れの動物だから、やる前にあれこれ心配するよりも、場数を踏んでいけばできるようになるんですよね。

−−では最後に、今後の展望をお聞かせください。
これから歳を重ねても物怖じせず、大胆でいたいですね。若い人が使うと下品になりがちな言葉も、おばあちゃんが言っていたらちょっと格好良くて面白いじゃないですか(笑)。だから70歳を超えても面白いおばあちゃんでいたいです。

【info】

三遊亭美るく
2003年に大学卒業後、就職。社会人を経て、2006年に師匠である三遊亭歌る多に入門。2007年に「三遊亭歌る美」として前座となり、2011年に二つ目昇進。「三遊亭美るく」と名を改める。

[ライター/アベユーカ カメラ/山中絵練]